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秦のおもしろ起業話⑺

起業のおもしろ話|オーナー秦綾花のBLOG

起業してからの厳しい現実

起業しましたが、最初は全然稼げません。1円も稼げないばかりか、必要な事が他にたくさんあり、お金としては出ていくばかりです。毎日毎日がプラスよりマイナスが多ければ、トータルは・・マイナスです。当然ですが。。
でも一人で生活しています。住む場所、食事、その他諸々のお金がかかるわけです。1ヶ月として、「今月は自分が稼げなかったので、払えません」という事は、この世の中では全く言い訳にならない現実。状況がどうであっても、何をしてもいいから一ヶ月に最低は稼がないといけない金額というものをクリアーせねば、路上生活になってしまいます。起業した仕事で稼げなければ、じゃあバイトをするしかありません。でも日本という国はいい国だと思います。あちこちでバイトの張り紙があり、歩いていける距離で、まかないの食事つきで、アルバイトをすれば死ぬことはないのです。世田谷のある中華屋さんでバイトをしながら起業も進めていくことにしました。とはいえ、生活費を稼ごうとすると、そのバイトだって結構な時間を費やさないといけません。起業を始めたのか、バイトを始めたのか、どっちかわからないようなスタートとなっていました。

起業して見方が変わった「お給料」というもの

起業して、自分はこの世界に放り出されたとき、1円だってまだ稼げてないのに、バイトってすごいなー、給料をもらえるってすごいなー、と思ったんです。レストランの家賃、様々な食器や部材やいろんなもの、そして人件費。いろんなお金をどのようにしてこのレストランは回しながら、利益を上げているんだろうと想像していました。バイトとはいえ、その時となっては仕事に対して見方が全然変わっている自分でした。こうして少しの時間をぼーっと店にたっていても(それじゃイケナイんですけどね!)とにかくはいるだけでも時給はもらえるなんて、すごい経営者だな、なんて思ってしまいました。自分としては、この時給をいただいているのであれば、感謝して働かなきゃ・・と感じ、一生懸命仕事をさせていただいたんです。バイトとはいえ、お金をいただける有り難さを知りました。

皆んなの応援

バイトの仕事も一生懸命やっていたからか、店長がとても目をかけてくれました。鹿児島出身の店長Kさんは、大変人情みある方だったですね。「秦さんはいつも一生懸命やってくれてる!すごい!」っていう感じで、なんだか恥ずかしいほど褒めてくださることもあり、いいお店でよかったと思いました。私が起業したばかりで、まだやっと生活してて、営業でもレンタカーを借りて遠方の営業や実際の打ち合わせにでかけていたのを聞いて、「私の車を使いなさい!レンタカーやガソリンもバイト代から出したら、あんた大変じゃないか!」といって、車の横のポケットに500円玉をいっぱいいれておくから、ここから使いなさいと仰ってくれたりもしました。あまりに私によくしてくださるので、レストランの他の従業員の方々が店長と私が特別な関係じゃないかと疑われたりまでしました。
今でも店長さんには感謝しています。夜遅くにお弁当くれたり、私も車の件ではお言葉に甘えてしまって本当に頻繁に使わせていただき、迷惑をかけてしまいました。きっと本当に放っておけなかったんだろうな。。と人の気持の暖かさに、今も感謝しかありません。あの時その中華屋さんは2店舗あったんですが、2店舗の二人の店長さんとも、私の起業を気にしてくださり、応援してくださりました。今でもあのバイト時代は忘れません。

カーテンの仕事だけでやっていく時

バイト兼カーテンの起業を始めて1年近くたっていたと思います。本当に少しずつですが、何と!!ホームページから問い合わせが来たり、実際に営業に行った工務店さんから依頼が来たりするようになったのです。最初は信じられないほど嬉しかったです。電話で「ホームページをみたんですが・・」と言われたときには、頬をつねりたくなるほどビックリしました。全然検索にも上がってこないのに、どうやって調べたんですか!?、と逆に聞きたくなってしまうほどでした。月に1、2件だけですが、だんだんとお仕事がくるようになり、営業の回数も上がってきて、営業に行っても「ああ、この前来てた秦さんね!」って言う感じで打ち解けられるようになってきていました。
バイトもすでに予定を入れていても、突然カーテンの仕事の依頼が来たりすることが出て来てしまいます。店長に正直にいうと、「いいよ!なんとかするからカーテンの仕事に行きなさい!頑張んなさい!店はなんとかなるから!」と言って励ましてくださり、本当に神様みたいな店長でした。そして店長のお車を借りて、カーテンの仕事に出たとき、それは起こったんです。

店長の車に乗って赤信号で停車していた私は、後から追突されました。

ドラマみたいですが、『ガッシャーン!!』と後から追突され、車の後はぺちゃんこです。私はというと、後ろ髪が前髪になるほど衝撃を受け、そのまま病院へと運ばれました。でも追突されたときに不思議な感じがあったんです。『もう行きなさい、行けるから』と言われたように感じたんです。意味はすぐにわかりました。バイトを辞めるときがきました。まだまだカーテンだけで生活できるレベルかどうか、不安はありましたが、このままではレストランにも迷惑をかけ、店長にも重荷になってしまう瀬戸際だったと思います。事故というより、サインと受け止めて、私は支えのバイトを辞める決心をしました。子供が最初補助輪をつけて自転車走りますよね。それに例えるなら、初めてその補助輪を外すことを決め、2輪で乗りだしたのです。


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