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秦美穂子 おもしろ起業話⑴

起業のおもしろ話

こんにちは。秦美穂子です。
秦美穂子 おもしろ起業話スタートです。自分で「おもしろ」と言い切ってしまうのは何故かといいますと、この話をいつも友人や知人にするとき、あまりにおかしくて笑ってばかりだから。それだけです。毎回しゃべってるはずが、毎回笑えるんですね。
それで、せっかくなので、このインターネットの場でもお話しちゃおうという、そんなコーナーをつくってみました。

起業の話の前に

結局、起業の話は起業の前の話があります。私は起業する方向で生きていくと決めてはいましたが、全部自分の意志だけでそうしていったわけではありません。いろんな巡り、運や縁があり、結果現在起業できています。本当にありがたいと感じております。

ちょっと懐かしい話からしてみようと思います。
私は大学を卒業しても、しばらく1、2年プラプラしていました。しかも親のすねをかじってのんびりやっていたわけです。そして就職活動というものができずにいました。
リクルートスーツを着るのも嫌、ある会社に行きたいという動機も見つからず、どうにも上手くできません。頭もあまりよくないし、就職の意欲なんてさっぱりわかない。できればこのまま親のすねをかじりつつ楽して生きていきたいとすら心の裏では思っていたように思います。親からしたら冗談じゃありませんよね。大学は神戸市外国語大学の国際関係学科というところに入っていたのですが、入ったのには理由がありました。高校3年のときに湾岸戦争が勃発したのです。ミサイルや爆弾で大変なことになっているのがあまりにショックでした。テレビの画面を前に亡くなってゆかれる方を思うと泣けて泣けてどうしようもありません。当時英語が得意だった私ですが、英語で何をしたらいいのだろうと悩んでいました。別に海外に行ってしまえば、だれだって英語はしゃべれるわけです。大事なのは何を伝えられるか。やっぱり自分の中身だと思い、世界のことを考えられるようになりたいと国際関係学科に入ったのです。

初めての挫折

生意気ですが、国際関係を学ぶことに、この答えはありませんでした。平和を考えることなど、実際は遠い遠い、夢にも描けないほどの遠い世界であることを知り、絶望してしまいました。結局学問することもできず、国際関係についても本当に語ったり、向上していける場所ではないと早々に判断してしまい、心が折れてしまったのです。
大学入学くらいまでは、私は失敗らしい失敗もなく、割と順風満帆のような流れでいましたので、初めて自分の思うとおりにいかない、自信がない、そんな事が立て続けに起こりだし、右往左往するしかなくなってしまったのです。
さらに悪いことに、オーストラリアを旅行した際、白人の日本人への差別にあい、英語なんか大っ嫌いだ!となってしまいました。私の英語はアメリカ英語でしたが、わざと日本語訛りの英語発音に変え、こんな言葉捨ててやるとすら思ってしまったのです。若さゆえでしょうか、今もし当時の私にあえたら、いろんな助言ができたのにと思いますが、そんなわけで大学を卒業したころには、すっかり折れきった自分がそこにいました。全部やめてしまった、ただそれだけの空虚な自分でした。

起業に憧れだした卒業後

でも何かやりたいわけです。どうせ働くなら、何か一つ勉強して他のスタートを切ってみよう。楽しい事が毎日したい!国際関係は自分いは関係なかったんだ。そんな安易すぎる自分の答え。ふと目に留まった「カラーコーディネーター資格」。ま、これなんかいいんじゃない?というような軽い気持で、さも重要なように親を説得し、しばらく卒業後もプラプラする理由をつくっているような状態でした。
ところがカラーコーディネーターの資格を勉強したところ、楽しいのですがすぐ飽きてしまいました。しかもカラーコーディネートしつくしたとしても必ずしも「美しい」わけではない。なんだかつまらないなと感じてしまいました。それでは、カラーコーディネートを使ったメイクアップはどうか?これも最初は面白かったのですが、飽きてきました。メイクしても、必ずしも「美しい」わけではない。色彩心理学も学びました。これもそこそこで限界を感じました。トップの先生は独自の方法でこの色彩心理学を構築されたけど、その他の講師の方達は真似をしているだけでつまらない。自分は一体どうなりたいんだろう?何をしたいんだろう?学び続けていった先には何かがやれるはずと思っていた自分の方向はどんどん雲行きが怪しくなるばかり。メイクアップの仕事に付随してお化粧品販売も行ったのですが、結局借金を300万円ほどもつくってしまい、「もうーー見てられない!!」と家族がその300万を支払って、終わりにした。そんなお粗末な結果となったのです。当時23歳くらいのときでした。

まさかのメイクアップの再チャレンジ

やっぱり思うのですが、失敗することは悪いことではないのです。
悪いのは、失敗を全部自分でけりをつけず、責任を取らないで終わらせることなのです。
何も分からず、何が起こったかを理解しないまま終わったとき、必ず同じことを繰り返すのです。

という事を、そこまで当時考えは至っておりませんでしたが、私はやっぱりしでかしました。「やっぱりメイクが私の仕事かも!」ビックリする話ですが、何と私はある知人に自分のそんな夢をかたり、お金を貸してくださいとお願いしました。映画のストーリーだったなら、「やめて〜!!」と目を覆いたくなるシーンですね。「ペットセメタリー」という怖い映画がありますが(知ってますか?)、死んだ息子を死んだことに耐えられなくて、またペットセメタリーに埋めに行く、そんなシーンに近い怖さです。
そしてビックリすることに、その知人は私に貸してしまったのです。
再度チャレンジが始まりましたが、今考えても、当時の私は本当のおバカさんでした。何も考てません。ただあるのは妙な自信だけ。「きっとやれる〜!」3ヶ月で潰れました。当たり前です。同じ金額300万円です。借金が残り、知人に言えず、どうしようかと真っ青になるよりありませんでした。

訴えられる!

何かおかしいと察知した知人。配達証明の手紙、そして私の実家にまで電話をされ、両親はその場で倒れるかというほどのショックを受けました。父は心臓が夜になってもバクバクして眠ることもできなくなったそうです。かわいそうな事をしてしまいました。そのときの両親の凄まじい剣幕。生きた心地が私も両親もしませんでした。でもしょうがありません。何の縁か、親子なのですから。。
親に怒鳴られまして、お前は人間じゃない!とすら言われましたが、もう最後、今回はお母さんが払うから解決しろ、と言うのです。自分はとっさに叫んだのですが、「あんた達が手出すから悪いんだ!もう手を出さんといて!全部自分でやる!自分でやらせて!」と言ったのを覚えています。これ、親に対してひどくないですか?あんた達のせいだ!っていう開き直り。でも一理あるなと、今は思うんですよ。その言葉は正しかったと思います。でも親としては「あ〜〜そうかい、どの口がしゃべってんだよ。そんな事言われなくても手なんか出さんわいな!勝手にしてしまえーー!!(でも死ぬほど心配)」という感じです。私は裁判所に出頭することになりました。初裁判所です。

 

 


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