ハタマド マドカラヒカリ

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1975年1月4日

生いたち|オーナー秦美穂子のストーリー

秦美穂子 生い立ち

幼児のころ、、多分私が2歳くらいの話かと思われますが、祖母がよく私に言ってました。「みほちゃん、おたんじょうびは?」と聞くと「いちがつよっか!!」と膝を屈伸させながら力を込めて応えたのだそうです。何度でも。よっかの「か」に力を入れてたそうですよ。何故そんな事から思い出すかというと、1月4日は今の私にとってもこの数字はお気に入りの数字であり、私という人間がこの世にうまれ出た大変おめでたい日であることには変わらないからです。幼い頃の記憶はありませんが、「いちがつよっか」が大変お気に入りだったことに、今も共感できる自分です。

能登半島

1975年1月4日、私は石川県能登半島で生まれました。実家は覚性寺というお寺です。1月は冬も真っただ中。北陸の空は冬の間晴れることもなく、どんよりとした厚い厚い雲がたれ込め、ひたすら暗い気候なのですが、その日は珍しく晴れていたそうです。朝10時、電話が鳴って私が無事誕生したことが実家に知らされました。母方のおじいちゃんが誕生を聞いたあとに言ったのは「おでんに一杯!」と父と祝杯をあげたとか。父はなぜか階段の手摺を磨いて出迎えの準備をしたそうなのですが、なぜ階段の手摺なのでしょうね?誕生したときのことでこの話だけは何故かいつも思い出します。

そうして無事誕生できた私ですが、生まれるまでは大変だったそうです。母が。
大きくなってから母がいろいろと私に告白してきました。母と父が出会わなければ私は生まれませんでしたので、両親が変わっていれば、私はいないわけです。それにしても母がどれだけ大変な思いをしたかは想像を絶しますが、私が母の立場だったらと思うと、よく自分は生まれることができたものだと驚くしかありません。自分だったら即離婚です。

秦美穂子の両親 父と母の馴れ初め

随分前にさか戻りますが、母のもとへ、お見合い写真という事で父と祖母とが写った写真が送られてきたそうです。当時の祖母と祖父はちょっと飛んでるくらいに派手好きでした。お見合い写真で写っていた祖母も派手というか、おしゃれと言っていいのか、かなりインパクトのある風貌だったそうです。実家はその頃大きな借金があり、家もボロボロ。なんと、あろう事かお向かいの!お金持ちの家をバックに2人は写真を撮影し、お見合い写真を送ったのだそうですが、まんまと騙され、母はお見合いをすることとなり、お嫁にまで来てしまったんですね。ざんね・・・いやいや、本当によかったです。実際に実家にくれば分かるものなのに。。と思いますが、何故でしょうか、結果として何と二人は結婚します。おかしくないですか?周囲の煽りも大変なものがあったのではないかと、今となると想像します。母の実家もお寺なのですが、当時の能登半島の「お寺事情」としては、お寺の娘とお寺の息子が結婚するのが当たり前というのがあったようです。「お寺の人」以外はNOなわけです。しかも「血統」というのがありまして、それも大切なことの一つなわけです。すごいですよね。そしてこの摩訶不思議な結婚が私へと繋がっているのです。

様々な「事件」

お寺事情は置いておきます。「靴事件」というのがあったそうです。「貴女に靴を買ってあげたい」と申し出た父に「いらない」とあっさりと答えた母。父が怒ってしまい、しばらく母に口をきかなかったそうです。なんてちっちゃい男だろうと思いますが、父もまだ若かったのでしょうがないですね。当時20代ですから!私は現在42歳ですので、考てみると当時の父の2倍くらいの年齢です。Back to the futureみたいですね。こう書いてみると面白いものです。

「うるさい事件」というのもあったようです。父方の祖父に母がいじめられまして、お腹に私を身籠り不安でいっぱいの母は、夜、ベッドで泣いていたのだそうです。一緒に寝ていた父はあろう事か「うるさい!」と一言いい寝てしまったとか。ひどいやつです。今だったら私がその場を代わって殴ってやりたい。母はショックだったと言ってましたね。そりゃそうです。この話は私が中学か高校のときに聞かされまして、私は本当に父に食い掛かって怒ったのを覚えてます。父は母に謝ってたかな?覚えてませんが、今は二人は仲良しですよ。その後、娘である私、秦美穂子が成長するに従ってどんでもないモンスターに成長し、二人は力を合わせ、支え合わずしては生きていけないほど困らせる人間になってしまうのです。不思議な流れですよね。

本当に産んでいいのか?

母は妊娠中、あるとき祖母に意を決して子供を堕ろしたいと告げたそうです。祖母は否定しなかったそうです。誰にも私からは言わないから、堕ろすんやったら今、そうしなさいと言ったそうですね。母はそのまま病院に行きました。そして・・、堕ろしていたら今の私はいないのです。母は堕ろさず「やっぱりやめた」と言って、何と帰ってきたのだそうです。その理由を何度聞いたでしょうか。でも今でも母は笑って教えてくれません。

私が1975年1月4日誕生できたのはどれほどの偶然が重なっているのでしょうね。両親だけでもこれだけ色んな事があったのに、その親、その親とずっと辿ると、どれほどの人がいるのでしょう。一人欠けても私はいない。そして今日、今、ここに私はいるわけです。


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